NecoDog

JR舞浜駅も、かつてはオリエンタルランドの土地でした。駅も含めた再開発で、舞浜駅を作り、JR東日本に売却したのです。

 ここでよく言われるのは、どうして東京ディズニーランド駅にしなかったのか、ということです。東京ディズニーランド駅にすれば、みんなもわかりやすい。何よりディズニーランドも宣伝になる、野球場のようにネーミングライツにするビジネスすらあるのに、と。

 しかし、ここでも、ディズニーの徹底したブランドコントロールが効いていました。
「絶対にそんなことはしてはいけない、ディズニーの名前は神聖なるものだから」
 というのが表向きの理由でしたが、本音は他にあります。なぜだか、お分かりになりますか?

 想像してみると、とても簡単です。
 駅名にしてしまうと、誰もが使えてしまうようになるからです。
 ××スーパー東京ディズニーランド駅前店、たこやき××東京ディズニーランド駅店、東京ディズニーランド駅前クリーニング……。

 駅名使用を許してしまえば、名前はどんどん一人歩きして、ディズニーのブランドコントロールの及ばないところに行ってしまうことは確実だった。だからこそ、駅名にはしなかったのです。

 ブランド管理とは、そういうことなのです。
 小さな小さなところに、ブランドを毀損する思わぬ罠が潜んでいる。
 そこまで徹底して見極めて、ブランド管理はしなければいけない、ということです。

http://diamond.jp/articles/-/35795?page=3


名古屋とヤンキーについて

斉藤:「快感ぜんぶ載せ」みたいな印象になってきました。うなぎを三段階で味わい尽くす「ひつまぶし」が典型でしょうか。快感原則的な合理性を徹底すると隠喩性や象徴性といった文化が衰退するのかもしれませんね。

與那覇:村上春樹著『地球のはぐれ方』での名古屋旅行記で、まさに同じようなことを書いていましたね。
食文化も一品ずつ順に味わうんじゃなくて、「味噌煮込み親子えび天うどん」みたいな濃い味の全部入りごった煮で出てくるし、過去の景観を抹消して敷設した大幅道路ばかりで路地がないから、
街に文化としての記憶がない。だから物語というものが駆動しない、という議論をしています。

— 「ヤンキー化する日本」 斉藤環


安部総理をヒトラーに喩える人もいるようだが、これにはちょっと違和感がある。
彼の見ている幻想は、ヒトラーほど巨大でも残酷でもない。彼には適切な歴史認識もなければ、まっとうな国際感覚もない。美学はあっても理想はない。気合いはあってもビジョンはない。つまり幸運にも、この人物にはファシズムは到底無理なのだ。嗤おうなら彼の独裁ぶりではなく、彼の矮小さこそを嗤うべきなのだ、と思う。

— 「ヤンキー化する日本」 斉藤環


マルコポーロの東方見聞録かのように、日本の地方に「マイルドヤンキー」という新たな人種を発見したと驚いていることに驚かされるのですが、ある意味名付け親がマルコポーロなんでしょう!?
東京生まれで文京区駒込が地元で2年間を海外で過ごし都内の有名私立大を卒業し大手広告代理店に入社した人が「マイルドヤンキー」論を語っていますね。

まさにマイルドヤンキーとは対極の人生を歩み、結果として山手線内側のエリートが自分の知らない世界である日本の地方に居る(いや昔から居た)フツーの人達が自分とはかけ離れていることに驚き、Disりも含めて「マイルドヤンキー」呼ばわりしてしまっただけのことですよ!

— 『マイルドヤンキー論は薄っぺらで山手線内側のエリートが地方を見下してる感タップリ!』 韋駄天太助


近田春夫「ヒップホップっていうのはドロボーする理由がはっきりしてるでしょ。相手をあざ笑うためか敬意を表するためかが前提で、パクる必然性がある。パクられた当事者が「あっぱれ!これは見事なニセモノじゃ」と笑うくらいクオリティと志が高くないとさ。」

— 『ポップ中毒者の手記(約10年分)』— 都市生活者の不安を描いた日本語のラップが凄く身につまされるのに、腰がくいくい動くのはなぜだろう 


シナリオを書くのは好きだったのですが、『万年筆で書くように映画が作れたらどんなにいいだろう』というのが、夫の口癖でした。映画を作るためにたくさんのスタッフが必要ですよね。自分と創造との間にワン・クッション、つまり中間者が入ってしまう。自分が頭の中に思い描いた絵が、他人との共同作業だと思い通りにいかないのが嫌で、ボリスは『映画を作るのはマゾヒズムだな』ともコボしていました。(中略)
そうか。映画だけは、音楽のセッションと違って、監督=天皇と化さなければ物事が進まない。何でも一人でやらなければ気が済まない人には向かない職業である。

— 『ポップ中毒者の手記(約10年分)』ー試写室で死んだ男 川勝正幸


生徒手帳の住所欄に、ぼくは一言、風街と書き込んで、内ポケットに入れていた。新学期が始まった日、地図帳を広げて、青山と渋谷と麻布を赤鉛筆で結び、囲まれた三角形を風街と名付けた。それはぼくの頭の中に存在する架空の町だった。例えば見慣れてた空き地に突然ビルが建ったりすると、その空き地は僕の風街につけ加えられる。だから風街の境界線はいつも移動していた。

— 松本隆『微熱少年』


うちの母親が言うには、あなたがウケテルというのは、社会的な不安と私が何の計算もなくやっている好き勝手なことが偶然時代性と一致してるように見えたからだっていうのね。
それは時代に味方されて、時代とともに去っていく感じであまりにも寂しいわよって言ったんだけど。
そしたら母親が「大丈夫よ、安心しなさい。この不安は第三次世界大戦まで続くんだから」って(笑)

— 『戸川純の気持ち』